戸倉山の大鷲と並び、伊那市長谷村を代表する昔話です。
まんが日本昔ばなしでアニメ化もしていますので是非ご閲覧を。
この物語の主人公である江戸時代の猟師、
高坂勘助さんは実在した人物であり、当時の生活の道具も残されています。
以前は生家を資料館として公開していましたが、現在は温泉施設の入野谷に移設されています。
舞台となった柏木の集落から仙丈ヶ岳へと登る地蔵尾根コースの途中には孝行猿のお墓が残されており、登山者にお馴染みの場所になっています。
信州伊那郡の入野谷(現長谷村)の柏木に勘助という猟師がおった。冬のある日、猟に出たが、さっぱり獲物がなく、あきらめて帰る道で、大木に猿がいるのを見つけた。「猿を撃つのは気が進まんが、手ぶらで帰るのもしゃくだでのう」
勘助は猿を撃ち落としてしまった。母猿らしく、子猿の悲しげな鳴き声が聞こえたが、気にも留めず、家に帰った勘助は、「獲物の皮を剥ぐのは明日にしよう」
と、猿の四つ足を縛って囲炉裏の上につるし、火種に灰をかぶせて、となりの部屋で寝てしまった。 夜中にふと目をさました勘助は、囲炉裏の部屋をのぞいてみた。すると、子猿たちが来ているではないか。目をこらしてよく見ると、囲炉裏の脇で二匹が四つんばいになって重なり、もう一匹がその上で後ろ足で立ち、手で母猿の傷のあたりにさわっている。子猿たちは交替でこの動きをしているが、どうやら上の子猿は、囲炉裏の残り火で手を暖めては、その手を母猿の傷口に当てているようだ。 いつまでもこの動作をくり返している子猿たちを見て、勘助はハラハラと涙を流した。「ああ、おれはなんというむごいことをしてしまったのだろう」
勘助はその夜、寝つかれずに朝を迎え、母猿を手厚く葬ってやり、それ以来ぷっつりと猟を止めたという。
信州の民話伝説集成 南信編(出版 – 一草舎出版 2005年) 178-179頁より引用
こちらが孝行猿の墓。
お墓の横には山神が祀られています。
お墓には”遺跡”と記されています。
下の碑は後に建てられたものなので、もともとのお墓(上に乗っているのがそうかな?)はかなり傷んでいたのでしょう。
お墓の横にある説明書き。
これによると勘助は当事者ではなかったようです。
短いながらもかなり重要な資料です。