高鳥谷山の麓、富県の貝沼と言う場所にかつて大きな池がありました。
現在は農地開拓され、池の影も形も残ってはいませんが、伊那市で最も有名な昔話の一つが伝わっています。
まんが日本昔ばなしでアニメ化されています。
南アルプスの盟主赤石岳に近い伊那の谷の東、高鳥谷岳の山のふところに、面積からいったら三町二反歩ばかり、静かに碧く澄んでいる沼がある。沼の名は真菰ヶ池。この、聞くも優しい名の真菰ヶ池には、秘められた哀しい物語がある。
信州の名著復刊シリーズ1 信州の伝説と子どもたち 山の伝説
(出版 – 一草舎 2008年) 238頁より引用
池のあった場所には石碑が建てられています。
周囲に広がる田んぼが、かつて広い広い池だったのでしょう。
真菰が池跡地にある看板。
伝説をうまく要約して紹介されています。
上に引用した書籍を基に、少し詳しく伝説を紹介していきます。
時は天正十二年(1584年)のこと。小牧・長久手の戦いがあった年にあたります。
武田家の家臣、櫻井安藝守重久は、この地にて待機を命ぜられていました。
戦乱の世にあって腕を振るえない鬱憤を抱えて過ごしていた重久は、ある冬の日に、鬱憤ばらしとして家臣と共に猟に出ることを決めます。
しかし、日が落ちる寸前まで粘ってみても、獲物となる動物一匹見つかりません。
さらなる鬱憤を抱えながら真菰が池まで来てみると、仲睦まじく並んで泳ぐ鴛鴦の姿を見つけます。
このオシドリはこの池の主として地元で知られており、仕留めたことにより祟りを受けることを恐れた家臣は重久を止めようとしましたが、もう重久の耳には届きません。
あっという間に弓を引き一羽のオシドリを仕留めてしまいました。
早速、射止めたオシドリを拾い上げたところ、なぜかオシドリの首がなくなっています。
奇妙な事を目の当たりにし憂鬱な気分で夜を迎え、眠れずにいた重久の耳に、悲しげな女の歌声が聞こえてきます。
櫻井の名もうらめしき甲斐沼の真菰ヶ池に残る面影
怨みの込められた歌が何度も繰り返し繰り返し歌われます。
重久は枕元の刀を手に取り表門へ出ますが、その時には歌声は消え失せ、何もない冬の月夜のみが残っていました。
この後幾晩にも渡って同時刻になると同じ歌が聞こえ、重久は首のないオシドリのことを思い自責の念に駆られていきます。
翌年の春の桜が咲き盛るころ、重久は家臣たちを従え、真菰が池の近くでお花見を催しました。
池の水面に映える満開の桜を肴に盛り上がりを見せていたところ、ふと、池の水際に一羽のオシドリが、寂しげに浮かんでいるのを見つけます。
これを見た重久に突然衝動が走り、家臣の止める間もなく、このオシドリを射止めてしまいます。
オシドリは雌でした。
早速躯を拾い上げ矢を抜こうとしたところ、羽根の中から何かが転がり落ち、それを良く見ると--- なんと、冬に射止めた雄鳥の首だったのです。
驚きのあまり、さすがの重久も言葉が出てきません。
「オシドリ夫婦」という言葉もある通り、オシドリのツガイは常に寄り添って、とても仲睦まじく見えます。
突如雄鳥を失った雌鳥が悲しみのあまり、雄鳥の首を掻き切って、今日まで抱きしめていたのでしょうか。
重久は、かつて門前にて哀歌を唄ったのは、この雌鳥ではないかという気持ちに包まれ、この後出家し、高鳥谷山の麓に寺を建立し、オシドリの霊を祀りました。
この時建立された鴛鴦山東光寺には、重久作の鴛鴦の歌が残されています。
日暮れなばいざと誘いし甲斐沼の眞駒ヶ池の鴛鴦の獨り寝
余談ですが、オシドリは毎年パートナーを変え、子育てもメスのみが行います。
同個体同士で夫婦の仲が良く見えるのは繁殖期1シーズンのみなのです。
「オシドリ夫婦」の言葉は仲睦まじい夫婦の例えですが、あまり当人に対しては使わない方が良いでしょう。
少なくとも言葉の由来を知っている方に言ってしまうと、あんまり気持ちいいものではないと思います。