三峰川が流れを変える大曲にあるゲートからちょうど1kmほど遡ると、巫女淵という巨大な淵があります。淵の対岸には尾根まで続く石灰岩の大岩壁があり、その光景はかなり壮観なものです。
以前は淵の真上の道沿いにささやかなお社がありましたが、何者かに盗まれてしまったそうです。
お社跡地
お社の代わりに付近の石灰岩が置かれ、お酒が供えてあります
お社のすぐ下は見事な渓谷になっており、淵には大量の水が湛えられています。
淵のある場所は石灰岩帯の露出地域であり、白くて美しい巨石が、淵の神秘性を際立たせています。
淵を抜けると三峰川が一気に開けます。
この淵の近くに住んでいた行者の親子(平家落人)に纏わる悲しい伝説も残っています。
小瀬戸の湯から三峯川をさかのぼっていくと、それまで西に向って流れていた川が北に向って流れるようになる。この曲りを大曲りという。ここから谷は急にせまくなり、両岸は断崖絶壁で、然も老樹が繁っていてうす暗く、昼間でも星が見えるくらいである。その下を玉と散るしぶきをあげて流れ急ぐ音がせまい谷に響いてものすごい。時々野猿のさけび声が聞こえて一そう寂しさを増す。その谷の中程に巫子渕といわれる大きな渕が青黒くうず巻いている。その渕の上に張り出した奇岩の角に石の祠がある。巫子の霊を祭ってあるという。昔、平維盛が紀州より落ちのびて、浦に住居を構えて住みついたとき、本妻と白拍子(巫子)の二人の妻を伴ってきたが、住みついた浦はせまい土地で、二人の妻が同居して生活をしてはいけない。白拍子(巫子)が身を引くのが維盛様のために一番よいことだと悲しい決心をした。それでどこかよい場所はないかと三峯川をさかのぼり、この渕にたどりついた。こここそ本当によい場所だとして、手を合わせ念仏をとなえながら渕に身を投げた。
後に維盛がこの事を聞いて涙を流してあわれんだ。巫子が残していった鈴を祭ってその霊を慰めたといわれる。
伊那谷 長谷村の民俗
(出版 – 長野県上伊那郡長谷村文化財専門委員会 昭和48年) 278頁より引用