小瀬戸川と三峰川の出会う場所の対岸にかつて鉱泉が湧いていました。
現在は塩見荘という温泉宿があった場所に、石を積んで作られた堤防と基礎の跡が残っているのみです。
小瀬戸鉱泉は、国有地内にあって、経営者は時々変ったが、古くから続いている。営林署が事業をはじめない大正時代までは、人や馬が辛うじて通れる山道だったが、地元のものはもちろん、遠く中沢村や伊那の方からも、はるばる湯とうじに来た。胃腸によく効くといって、そばの花の咲くころになると特ににぎわった。山師の人たちもよくきてはいり、きりきずなどにも奇妙にきくといわれた。ここへ湯とうじにくる人は、湯治か魚取りがわからないといわれるほど熱心にいわなを取った。このへんまでくると、三峯川にも、三峯川に注ぐ小沢にもいわながたくさんいた。
夕方になると腸を抜いてくしにさしたいわなが、火のもえているいろりばたの灰の中へ一面につきさしてあぶる光景が見られた。
伊那谷 長谷村の民俗
(出版 – 長野県上伊那郡長谷村文化財専門委員会 昭和48年) 132頁より引用
杉島の岩入から三峰川右岸の林道を、川に沿って約十四kmほど遡って行くと、川の左岸の林間に小瀬戸の湯屋が見え、右岸からは危げな木橋が昔ながらに架けられている。
この小瀬戸鉱泉の由来についての確たる資料は見出せないが、入口の掲示板には次のように述べられていた。
「この里の山深きところに華の咲く泉がある。この泉で体を清めなされ」
と前書きして、
「明治の初め奥浦に住む竹沢亀平は、持病の胃腸病に悩まされていたが、日頃信心厚かった弘法大師が夢枕に立ってのお告げによって、難行苦行、前人未到の山中にこの泉を発見した。風呂桶を運び、丸太小屋を建て、弘法大師の徳を念じつつ入湯を繰返すうちに、やがて胃腸病は治り健康は回復されたと伝えられている。
その後亀平は同志とともにこの鉱泉を維持していたが、胃腸病に特効あることを伝え聞いた地元長谷村の人々はもとより、遠く中沢村・新山方面からも、老若男女が道なき道を踏み分けて湯治におしかけた。」
というのである。
南アルプス 山麓の枝折
(出版 – 宮下慶正 平成5年) 20-21頁より引用
林道のある三峰川対岸より。堤防跡が見えています。
かつてはこの辺りに橋が架かっていました。
建物はまったく残っていませんが、今でも施設が建てられそうなくらい広々とした敷地が広がっています。
かつては湯治場の庭だった場所でしょうか、灯籠がポツンと残っています。
三峰川対岸より、小瀬戸ノ湯の全体写真。
広場の全天球画像です。広さがわかるでしょうか。
小瀬戸ノ湯跡地 - Spherical Image - RICOH THETA