南アルプス山麓探訪

戸倉山の大鷲

CATEGORY:伝承

戸倉山の記事にて、「戸倉山の大鷲」という昔話があることを紹介しましたが、非常に興味深いことに、この大鷲は実在していていました。

引用が多くなってしまいますがご紹介しておきたいと思います。

   もう五、六十年くらい前のことになろうか。伊那山脈の戸倉とぐら山には、二羽のすてきもない・・・・・・大鷲が巣をかまえていた。

   この大鷲のことを、三峰川谷の市野瀬あたりでは畏敬の念もこめて”戸倉鷲”と呼んできた。この呼び名は、鷲が戸倉山に棲んでいることから名づけられたものには違いないが、村人がほかの鷲と区別して、とくにこう呼んでいたのは、他にもそれ相応の理由があったからである。

   というのは、この二羽の大鷲は、一般の鷲が暗褐色の羽色をしているのに対し、ずばぬけて赤い羽をもっていたことだったが、話はそれだけではない。この鷲が羽を拡げたところを見ると、片羽だけで三メートルもあろうという、見事なものだった。しかしこの限りでは、ただ戸倉鷲が年齢を重ねた、大きな鷲であることを説明する、ごくありふれた見聞記になってしまうが、もう一つこの鷲には特異なものがあった。それは家門の高さの象徴とも見える紋章をもっていたことだった。戸倉鷲の空ける姿を間近に仰ぎ見た人々は、二羽の大鷲の両翼に、それぞれ八の字の紋所が、白くくっきりと染めぬかれているのを、見とどけているのである。

続 狩りの語部(出版 – 法政大学出版局 1977年) 188-189頁より引用

引用元の発行年から計算すると、なんと少なくとも1920年代(大正期)までは、昔話の主人公の一族が生き残っていたことになります。

市野瀬周辺はそれほど開けた場所ではないので、当時、畑仕事をしている頭上にこんな巨大な鷲が滑空していれば、それはそれは目立ったことでしょう。

   戸倉鷲の一家は、何百年となく戸倉山の頂上の、つが・・の巨木に棲みついてきたが、家族の員数はいつの時代でも、きまって八の字の紋章をつけた二羽の大鷲に限られていた。

続 狩りの語部(出版 – 法政大学出版局 1977年) 189頁より引用

現在、戸倉山の山頂付近には大きなダケカンバの木がありますが、この大鷲の一家が棲んでいたと思わしきツガの木は残っていません。

一家が常に二羽だけだったため世代交代の時期がわからず、当時の人々はそれぞれの大鷲が非常に長く生きている個体だと信じていたようです。

さて、いよいよ伝わっている昔話をご紹介しましょう。

引用元にはざっと二百年ほど前とありますので、江戸時代中期頃の話になりますが、舞台となった地名まで詳しく語り継がれています。

   それは、ある日のこと、三峰川谷上中尾かみなかお大上手おおわでという嫁の若嫁が、赤子をともなって、上中尾にほど近い畑で草とりをしていたときの話である。赤子は、わらで編んだくるみおけ・・・・・に入れ、涼しい日かげにおいておいた。ところが、母親とくるみおけの距離が、大きく開いたときのことである。どこで狙っていたのか、突如二羽の戸倉鷲が、山鳴りのような羽音をたてながら、くるみおけ・・・・・めがけて襲いかかってきた。

   羽音に驚いた母親が、くるみおけのそばへ、おわてて駆け寄った時には、一足おそかった。戸倉鷲は、その大きな鋭い爪に赤子をひっかけると、荒々しい羽ばたきの音を残して、空高く舞いあがっていった。あっというまもない、一瞬の出来事であった。

「やぁい、やぁい」

   母親は、消えいるようなせつ・・ない声をふりしぼりながら、戸倉鷲の行くえを追いかけていったが、翼もたぬ身には、どうするすべもなかった。鷲は峡谷の空を横に一またぎすると、戸倉山の青いツルネ(連嶺)の中に消えていった。

続 狩りの語部(出版 – 法政大学出版局 1977年) 190頁より引用

”まんが日本昔ばなし”でのエピソードには、この後の展開が描かれていますので、一度閲覧してみてください。

ネタバレですが以下に簡単な展開を書いておきます。

おじいさんが大鷲の討伐に向かいますが、鉄砲で一羽の大鷲を仕留めるのと引き換えに自らの命を落とします。

その際の村人の捜索で赤子の来ていた着物が見つかり、それを契機についに母親は気が触れてしまいました。

酒に逃げ消極的になっていた夫もついに復讐することを心に誓い、大鎌を手に真冬の戸倉山へ向かいますが、そのまま帰ってこなかったというものです。

一応、大鷲の姿も見なくなったとあるので復讐は遂げられたのかもしれませんが、話はここで終わり、誰も救われないなんとも後味の悪い物語となっています。

実際には、中尾の昔話での後日談はあまり語られていなかったようです。

(略)中尾の話に後日譚が欠けているのは、赤子が無惨にも、戸倉鷲の餌食になったことを暗示しているように思われる。

とは言うものの、あるいは中尾でも、かつてはこの種の後日譚が説話の中で、語られていたのかも知れないが、鷲の生態を知っている山暮らしの村人にとって、後日譚の部分だけは余りにも空々しくて、いかにしても承認しがたいくだり・・・であったが故に、話としての成長をみないうちに、忘れ去られてしまったのかもしれない。

続 狩りの語部(出版 – 法政大学出版局 1977年) 191-192頁より引用

最近出版されている長野県の昔話の本には、残念ながら、この話が掲載されているものは見当たりません。

とは言っても、すべて読んでるわけじゃないので、掲載されている本があったらすみません…

現代日本ではほとんどありえない、動物と人間との命のやり取りが良くわかる話の一つなので、是非残していきたいですね。

WRITER

さわ
澤崎文仁sawasaki

1982年7月14日生まれ。狩猟、山菜・キノコ採り、釣り、キャンプなど一年を通して山遊びしています。2019年台風19号により山奥は荒れ放題になり、なかなか行きたいところに遊びに行けてません。最近はゆるいブッシュクラフトがマイブーム。