美和湖から神田橋を渡り、すぐ北へ行くとある廃集落です。
集落跡へ直接車で行ける道はなく、とても狭い車道(落石もあり行くなら軽トラが無難)から斜面を上っていく必要があります。
昔、溝口の人たちは、この三峯川の対岸のこの土地に住んでおったということであります。そのころ家は三軒だけでありました。 あるとき、村の人が畑を耕しておりますと、畑の土の中から桶に入った女の生首が掘り出されました。それからあと、村には次々と気味の悪いことばかりが続きましたので、村の人たちは、そこに住むのが嫌になって、今の溝口の側に引越して来てしまいました。 そのころから、この土地を「こわくび」と呼ぶようになったのだということであります。
信州伊那 入野谷の伝承(出版 – 甲陽書房) 68頁より引用
地名の気味悪さから気になってはいたのですが、実際の由来はなんともオカルトですね。
「こがくび」の訛りで、「こが(桶)に入っている首」の意味だそうです。
由来には何の関連もないでしょうが、ここは首吊り自殺が多い場所でもあったようです。
神田橋から見えるこわくび。左側の飛び出た山の上の平らな場所です。
神田橋を渡り車道を北へ。すぐに向山沢川があり小さな橋が架かっています。
橋を渡るとこわくび集落の下を抜ける隧道があります。
昔はここが集落の入口だったようです。
写真の隧道の右側も歩ける道になっています。足を滑らせると岩のすぐ下は美和湖です。
ここからは長谷中学校、神田橋が良く見えます(冬季限定)。
昼間でも暗い隧道内。
そんなに長くないですがちょっと怖い。
集落に残る石垣。
今回は集落の北側から登ってみました。
土や落ち葉に覆われ、集落最下部のここにしか石垣は見られませんでした。
石垣のすぐ横にあった、おそらく水が湧いていたと思わえる石積み。
集落の中央部。
気味の悪い由来が無ければ、別荘を建てたいくらいですね。
実際、開発会社が別荘地の計画をしていたこともあったようです。
集落最上部の大ケヤキの根本に、神様が残っていました。
木が成長したため土台から崩れてしまっています。
人の痕跡は本当にほとんど残っていませんでした。