長谷村の国道152号線を南下していくと分杭峠へ至りますが、入野谷を過ぎたところで三峰川に沿うように左に曲がり、杉島集落に架かる橋を渡って山中へしばらく登って行くと浦集落があります。
俗世から隔絶されたようなこの集落はかつて平家の落人が開いたと言われています。
この浦からさらに山中へ入ると、かつては奥浦という集落があったようですが、現在は残っていません。
浦集落の入口から西に続く林道があり、分杭峠へ至ることができます。
ただし、現在は分杭峠が”ゼロ磁場の水”で有名になり訪れる人が増加し、マイクロバスでしか行くことができません。
こちらの林道も途中にゲートがあるので車では分杭峠まで行くことができません。
長谷村伊那里地区の杉島部落から、さらに三キロばかり坂を登った奥地に「浦」という部落がある。東は足元百数十メートルも下の三峯川に望み、急斜面の山腹にある部落である。昔は八十世帯近くあって三○○人以上も住んでいたが、今では過疎化の一途をたどり、旧戸のものは二○世帯八一名しか住んでいない。 この「浦」部落が平家の落人部落といわれているところである。平の清盛の子重盛は、小松内大臣左近衛大将となって小松殿と呼ばれたから、以後平家は壇の浦で源氏のために滅ぼされてしまっても、逃げのびた落人たちはこの「小松」を称して、全国の山奥に見をひそめた。場所によっては史実として証明されているところもあるようだが、この浦では有力な証拠が残っていないので、今では物語になってしまった。
伊那谷 長谷村の民俗
(出版 – 長野県上伊那郡長谷村文化財専門委員会 昭和48年) 278-279頁より引用
集落に入ってすぐの広場。
浦集落1 - Spherical Image - RICOH THETA
とても静かな場所です。
浦集落2 - Spherical Image - RICOH THETA